元々熱中するタイプです。
お金、パチンコ、酒、たばこ、TVドラマ、アニメ、映画、ゲーム、などなど。
他にもここに書けないようなこと、この世のことはほとんどやってきました。
でも、それよりもっと良いものを見つけたのですべて捨てました。
いや、まだ残っていた。
昨日はクリスチャンになる前に長年掛けて集めてきた大切な音源や動画、情報など信仰と無関係なもの、すべてのデータを捨てました。
物理的なものはもうすでに全部捨ててるので、これでもう何も残ってない。
コリントの信徒への手紙一 9:25 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。
無理やり捨てるものもありますが、それよりもだんだんとこの世のもの、すなわち朽ちるものに興味が無くなって変えられていった結果、どんどん身の回りのものが整理されていったのでした。
しかし、心の中のものはなかなか捨てるのが難しいです。
ガラテヤの信徒への手紙5:19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、 20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
マルコによる福音書 7: 20更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
捨てたのにまた出てくるから厄介なのです。
いや、捨てたと思っただけなのかもしれません。
ローマの信徒への手紙 8:5 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
ガラテヤの信徒への手紙 6:8 ( 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
ガラテヤの信徒への手紙 5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
ローマの信徒への手紙 8:6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
でも、続けて捨てていくしか方法はないですね。
コリントの信徒への手紙一 9:25 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。
ただひたすら御言葉を信じて、朽ちるものでなく朽ちないものだけに目を留め続けていく努力が必要ではないでしょうか。
コリントの信徒への手紙二5:2わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。
それには戦いの連続ですからもだえ苦しむこともありますね。
ローマの信徒への手紙 8:23被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
こういう、うめき、苦しみ、もだえながら変えられていく姿を明かしていく、生き様を見せていくのもイエスの証人としての役目でしょうかね。
コリント人への第二の手紙 3:18 (新共同訳) わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
その先を一歩、また一歩、もう一歩と、イエス様の似姿に変えられていくように日々前進したいと思います。
コリントの信徒への手紙二 5:17 新共同訳 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
愛する天のお父様 主よ
どうか私を憐れんでください
どうか私をここから救い出してください
私はもだえ苦しんでいます
神の子とされながらも
変わらずみじめな姿に落胆しています
どうかこの言いようのないうめきから自由にしてください
主イエスキリストの御名によってお祈りします アーメン