最近は忙しく更新が遅れています。
昔の日記から公開します。
教会を探していたころのこと、祈り求めるわけですが、以前所属していた教会に行くよう示されまして、その時の様子になります。
初めにこの教会を訪れたときは歓迎された。
人数が少ないのですぐに役目が与えられ、そこに居場所を見つけた。
教会でこのようにしたいと言えばたいていは受け入れられたしやりがいもあった。
そこはまさに天国であった。
現在はほとんど相手にされてない、よそ者扱い、のように感じる。
もう少し温かく迎えてくれるものと想像していたが・・・一番の理解者であった人は病気で長期休養で会えてないし、気心の知れていた奉仕者数人も今はいない。
そのなかで30人以上相手は許容範囲を大きく超えているように思う。
しかも、絶対に無理なタイプが10人くらいいるし。
その人が悪いのではなくて自分が苦手にしてるだけですよ、ごめんなさい。
苦手と認識するとトコトンダメなんですね。
怖くてたまらないのだが隠れる場所もない。
礼拝中はいいが、終わればまったくみじめに一人ポツンといるしかない。
しかし、逃げてはだめだ。
何のために来たのだ??
神様がなぜここに来るよう命ずるのか知るまでは通うしかない。
でも、信仰で乗り越えられるのか??
やっぱ、最低でも一人二人は心の許せる人がいないとつらいんじゃないでしょうか?
などとブツブツ文句を言ってると御言葉が与えられた
隣人を愛せよ
隣人を愛せよ
隣人を愛せよ
そうか!
30人はとても相手にできないけど、
たまたま隣に座っただけの、その人だけを愛せばいい??
その作業の連続がやがては30人になる??
これならできるかも??
じゃあ、左右のどっちの人?
ねぇ神様、どうでしょうか??