さて、教会の奉仕というとどんなことを思い浮かべるでしょうか?
まぁ色々あると思うのですが、ほとんどが礼拝の始まる前の準備から終わりまでの奉仕であり、つまりは礼拝の日にやる働きだと思うでしょう。
もちろんそうですが、実はその日以外の奉仕がどれだけ多いか、そしてそのほとんどが牧師と牧師婦人だけで行っていることなんですね。
でも自分の家での生活に置き換えればよく分かるのではないでしょうか?
たとえば一人暮らしの場合に、洗濯や掃除、在庫管理とかすべてを一人でやりますね。
一言で洗濯と言っても定期的に洗うものから季節ものやらいろいろあります。
掃除も普段してる部分だけでなくたまにはいつもやらないところなどあります。
在庫管理も食料品から生活必需品、季節ものやイレギュラーなものなど。
また、イベントや行事の準備や買い物、そのために下調べやそろえるものなど。
ちょっと思い出しただけでも礼拝の日以外にやることが色々とあるんです。
また、それらの多くが礼拝の日だとできないということなんですね。
なので、それを手伝うのです。
しかし、これらの働きをするには自分のフリータイムを使うわけですから、多くの犠牲を伴います。
とても地味な働きですけどその恵みは大きいです。
教会の働き全体を広く見ることが出来る、視野を広げてくれるということです。
それだけ牧師や牧師婦人と関わる時間が多い。
ということはお互いをもっと知ることになるし、学ぶことも非常に多い、教会の中長期的なビジョンも共有できる。
自分の意見も取り入れてもらえる。
というように、ただ教会の礼拝に参加してるだけでは味わえないたくさんの経験をさせていただきました。
これに勝る恵みはないと思います。
また、これを知らない人を多いかもしれませんが牧師が少しでも雑用から自由になる分だけ御言葉に取り組む時間が増える、ということはそれだけ私達の受ける御言葉が充実する、それと祈りに費やす時間が増える、ということは自分にとって大きな大きな利益になるということです。
なので、その時間を提供するための働きですからこれも大切な働きだと思っています。
このように教会のあらゆる部分に参加させて下さったことは自分の信仰生活に非常に大きな恵みをもたらしてくださいました。
今日はここまでにします。
愛する天のお父様
小さなものを用いてくださりありがとうございます
もっと謙遜なものになりますように
自分を犠牲にすることを喜びに変えてくださいますように
主に感謝してイエスキリストの御名によって祈ります アーメン