積極的にネットを活用して広めていたので、目につきやすいのか訪問者はそれなりに多かったです。
最初はどんな人なんだろうと興味をもって見ていましたが、ほとんど定着せずフラフラしてる人たちなので、信仰者として良い見本にもならないし、長くは続かないのですね。
また分派分裂など現実的なことも多く学びました。
使徒言行録 14:4 町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。
こんな簡単に教会を離れてしまうのか? こんな理由で? ホントに驚くことの連続でしたね。
まだ始まって間もない教会なので仕方がないのかもしれませんが3年もいると古株になってしまいました。
その間も入れ代わりがはげしく、会社で言うと中途採用的な即戦力人材な人も来たりして、まもなく奉仕者として用いられていきました。
まぁそうでもしないと人数は少しずつ増えてきても教会の運営が間に合わないわけで、自分もそんな感じで初心者ながら初めから用いられていくようになりました。
コリントの信徒への手紙一 1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ですから、開拓教会は何かと苦労が常に伴うのですがその分だけ多くを経験できて学ぶ機会があるので感謝です。
既存教会は何もかもが揃っていてそれはそれで恵みなんでしょうけど、その分だけ自分がしっかりしないと、ただ教会に来て、ただ礼拝して、それがクリスチャンだと思ってしまうかもしれません。
積極的に祈り会や奉仕に加わっていかないと教会の綺麗な部分しか見えないわけで、深く関わるほどに人間の弱さ愚かさ汚さ、つまり人間らしさを知るのですね。
それが人のことではなくて自分にも当てはまることだと教えられますし、そう思うことで楽になれるのですね。
このことを早い段階から知り、身に着けていったことは大きく信仰の成長につながったと感謝します。
まだ続きます。
まことにまことに主よ あなたは生きておられます
低いものを高め小さいものを用いてくださいますからありがとうございます
何時も主だけを恐れかしこむ謙遜なものでありますように
感謝してイエスキリストの御名によってお祈りします アーメン