信仰に大きな影響を与えてくださった4つの教会、4人の牧師の話の②です。
4つの教会、4人の牧師① では神と自分との関係性と御言葉、祈り、賛美、感謝の基本的なことを教わりました。
短い期間でしたが、恵みに生きるものとして確信もって信仰の道を歩み始めました。
もちろん未熟でしたが、何が何でも神を優先する、そこは絶対に揺るがない信仰が養われていったのは大きな財産となりました。
さて、①では味わえなかったリアルな教会と信者との関係を②で学ぶことになるのですが、クリスチャンという人間はすべてが良い人だと思っていたら、むしろこの世の人より残念な人が多くてびっくりしたというのが正直な第一印象でした。
えっ!? 今の発言、今の態度は? って感じです。この人たちはきっと世に出るときは器用に表裏を使い分けて、きわめて常識人としてきっちり自制しながら立派に振舞えるのに、教会では悪い面がおもてに出てしまうのでしょうか。
マルコによる福音書 4:22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。
牧師に正直に話すとその弱さ、愚かさを認めるかどうかが信仰の成長のカギだと教えてくださいました。
そんな痛みを経験しながら教会とはどういうものなのか、個人の信仰から共同体としての信仰者の在り方を学ぶことになります。
ということで悪口を書いてしまいましたが、このような態度は自分にも当てはまる部分がある、こういうことはしていけないことだ、自分にもそういうことをする可能性がある、というようにその人たちを見ることによって自分に置き換えて確認して修正していくという感じですべてが学びと捉えることが出来たのは御言葉があったからです。
ヤコブの手紙 1:2-3 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
今思えば、その人たちが勝手にやらかしてくれるから自分は同じ失敗をしなくて済んだ、恥をかかないで済んだ、ということも言えるのではないでしょうか。
テサロニケの信徒への手紙一 5:21 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
ですから、あなたもこういう人と変わりませんよ、だから自分の悪いところをすべて認めなさい、そうしないと成長できませんよ、と神が語ってくださったのだと感謝します。
こうして教会で揉まれながら、失敗しても赦す、赦される、という訓練の繰り返しですね。
改めて①の教会でみ言葉による歩みの土台があったからこそ、つまずかなくて済んだのだと感謝します。
さて、ここからが本番なのですがこの教会では信仰の実践と奉仕を求められます。
信仰があると言うのなら口だけでなく態度に出るでしょ、そんなことはわかっていると言いながらやらないのは、あなたはできないんですね、ということになりますよ、という感じで厳しさもありますが、いつも自分に問いかけながら実践していくわけですね。
だからと言ってギスギスしてるわけでなくとってもフレンドリーで、お互いをあだ名で呼びあったりして仲は良いですよ。
それと、共同体としての秩序と牧師やそれぞれのリーダーの権威を徹底的に学びました。
ローマの信徒への手紙 13:1 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
コリントの信徒への手紙一 14:40 しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
アメリカの教団所属ではありますが、日本では単立的な教会の立ち位置で開拓を始めてまだ数年でしたからなかなか定着せず出入りが激しく苦労も多かったです。
ヘブライ人への手紙 12:7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
ちょっと長くなりそうなので続きます。
真実で正しい天のお父様
試練に会うときこの上ない喜びとしなさいと
言われたことは本当でした
試練とともに脱出の道も備えてくださいますから感謝です
お父さん 足りない私をこれからもよろしくお願いします
感謝してイエスキリストの御名によってお祈りします アーメン