実は体が弱いんですね。
早天祈祷の礼拝中につらくてうずくまってしまうことが何度もあります。
どうしたのですか? と聞かれても・・・疲れてる、具合が悪い、体調がイマイチ、横になりたい、とか答えようがないのですが、体の弱い人なら理解できると思います。
膝も悪いので目の前の信号が変わりそうでも足早に渡りきることが出来ませんでした。
それでも、ラジオ体操は毎朝欠かさず出来る範囲で健康管理はしています。
それと、半年くらい前から少し体調がよくなってきたので職場や教会までなるべく走るようにしています。
最初は5メートルくらいしか走れませんでしたし、本人は走ってるつもりでも歩いてる人と変わらない速度でしたが、あきらめずに少しずつ距離を伸ばし速度も上がっていきました。
ということで、信仰も同じで辛いときもあるし諦めたいときもある、でもコツコツと努力した分だけ必ず成長があるということ。
ヨブ記 34:11 神は人間の行いに従って報い おのおのの歩みに従って与えられるのだ。
だからと言って順調にいくとは限らないし、大きくつまずくこともあるでしょう。
無理をして膝を悪化させてしまい、しばらくは杖を付いて歩くこともありました。
しばらくは治療に専念して回復していきました。
そうしますと以前よりも膝が強くなってるではありませんか。
信仰も同じで以前はつまずいた事柄もいずれは乗り越えられるようになる、それだけ力が付いたということではないでしょうか。
詩編 119:73 御手がわたしを造り、固く立ててくださいました。 あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。
ですから、人にはなかなか無理してでもとは言えませんが、でも本当は無理をしないと成長しない、無理をすることも時には必要なのかなと思います。
詳しくはないですが運動するときも負荷をかけるという言葉を聞きますよね。
鍛錬ってそういうものではないでしょうか。
ちょっと長いですけど頑張って読んでみてください。
ヘブライ人への手紙 12:5また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。 主から懲らしめられても、 力を落としてはいけない。 6なぜなら、主は愛する者を鍛え、 子として受け入れる者を皆、 鞭打たれるからである。」 7あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 8もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。 9更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。 10肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 11およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 12だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。 13また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
無理しても頑張ったことが次第にそれほど無理と感じない、ぜんぜん苦でなくなる、ということを積み重ねていきたいと思います。
アバ父よ
あなたの恵みは私に十分です
大いに喜び 弱さを誇ります
弱いときにこそ強いから感謝します
イエスキリストの御名によってお祈りします アーメン