母との時間

10/27/2024

日記

今日も日記から分かち合いたいと思います。

早天祈祷に行く前には母宅に寄って体調の変わりはないか、必要なものはないか、昨日の出来事の話など30分ほど時間を持ちます。

その内容から、み言葉を適用して未信者の母に伝えていきます。

ある日のディサービスでの出来事です。

特別なイベントがあったようで社長が挨拶に立った。

挨拶を終えてから、その社長は以前から面識のあるご利用者さん(お客さん)の数人に声を掛けていった。

その際に座っているご利用者さんと同じ目線の高さになるようにわざわざ膝を付いて話をしていた。

その態度が素晴らしいと母は評価していました。


皆さんはどう思いますか?


母に言いました。

声を掛けられなかったご利用者さんたちはどう思うか?

中には、「あの人だけひいきされてる」とねたむ人もいるかもしれません。

そのねたみの思いが何も悪くない声を掛けられたご利用者さんに向けられてしまう。

今まで友好な間柄だったのにトラブルに発展して辞めることになる可能性もある。

母は思い出したように言いました。

社長に声を掛けられたと自慢げに話してる人がいた。

そうでしょう、人間には誰でもそんなところがあります。

ですから、社長の行為は一見すると良い面に取られることもあるけど、もう少し広く考えるならば、返ってトラブルになりかねない行動だった、かもしれません。

社長という立場、与える影響を考えるならば、もう少し配慮があってもよかったかもしれない。

これがみ言葉を学ぶ者の考え方なんだよと伝えました。

もう少し突っ込んで考えると、社長は「自分はここまでへりくだることができるんだよ」と大勢の前で見せつけたかったのかもしれません。

つまり、その行為は自分のためだった。

ちょっと深読みしすぎでしょうか?

イエス様の目線で、弱い人の立場に立ち、広い視野を持ち、あらゆることに配慮し、ものを考えられるように、少しずつ身に着けていきたいと思います。


平和の君 イエス様
日々の学びをありがとうございます
未熟な私の眼を開いてくださいますように
いつもイエス様に倣うものとして
トラブルを生むものでなく平和を作り出すもの
としてくださいますように
感謝してイエスの御名によって祈ります アーメン