って誰でしょうか?
仕事をしてる人はその職場の人と過ごす時間が一番長いのではないでしょうか?
自分も仕事はしていますがクリスチャンになってからは必要以上に仕事をしなくなったし、一人仕事が多いのであんまり職場で人と関わらないのですね。
前の教会でも、ずっとそんな感じで牧師婦人と関わる時間が一番長かったですね。
毎朝、スカイプで教会の運営を話し合い、祈りの課題をもって祈る時間を1時間以上は持っていましたし、「じゃあ、そういうわけで後ほど行きますね」と結局は牧師宅にお邪魔する日が多かったように思います。
今も早天祈祷で火~土、あとでまた教会に寄る事が週2~4回、水曜と日曜は礼拝でという感じで牧師と過ごす時間が一番長いですね。
ですから、世の中と関わる機会がほとんどない、自宅と教会と職場の往復だけ。
なので、汚いものと触れる機会が極端に少なくて生活できている、守られている、聖別されているとも言えるかもしれません。
誘惑に弱い私にとっては感謝なことです。
逆に世の中と関わる機会の多い人は大変だと思います。
私は友達が一人もいないので悩むことはないですが、たとえば「飲みに行こうよ」との誘いを断れなくて付き合ったとしても以前のように存分に楽しむことはできないでしょうし、今までの話題がつまらなくなったりするのかなぁと思います。
でも、一番長く接してる人から影響を受けることは間違いないと思います。
ですから、一番良い人と長く過ごすことが自分にとってもっとも良いことですね。
また逆にクリスチャンになったからには時につらくとも離れなければならない決断が伴うこともあります。
私にはクリスチャンになる前からお付き合いしてる人がいましたが、「勝手ながら今からクリスチャンとして生きていきます、一切の譲歩はしません、不服なら別れましょう」と伝えました。
コリント人への第二の手紙 6:14 あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。
イエスキリストの十字架を負ってイエスの証人としての道を歩むとはそういうことなのかなと思います。
今や恵みの時 今こそ救いの日
イエスに結ばれたものにしてくださったこと
ありがとうございます
同じくびきを負うものを 選び取る
選び分ける 勇気と決断と分別がありますように
感謝してイエスキリストの御名によってお祈りします アーメン