に気づきました。
毎週水曜日の昼間に礼拝があります。
ほどんど韓国人で日本人は私一人のことが多いです。
なのに、私一人のために日本語で賛美し、日本語で祈り、日本語で説教をしてくださっています。
先日は日本語のわからない韓国人が来られたので韓国語で賛美し、韓国語で祈り、韓国語で説教をしました。
賛美は私が担当なので韓国でよく歌われている曲を選び、韓国語の歌詞を用意して使っていただきました。
祈りは普段は日本語で祈ってくださってる韓国人が韓国語で祈り、韓国人の牧師が所々に日本語通訳を入れてくださいましたがその内容が素晴しくその熱量が全然違うんですね。
私の祈りの時は韓国語に通訳していただきながら祈ります。
そして牧師の説経もやっぱり熱量が違う。
韓国語が分ればどんなに受け取るものが多いのだろうかとちょっと残念に思いました。
きっと韓国人が日本語で説教する限界、また聞き取る側の限界もあると思います。
1時間の説教で日本語に訳してくださったのは10分も無かったですが・・・
たぶん、私一人だったので大体内容はわかるだろうからと、ポイントだけ抑えて訳してくださってるように感じました。
そうでもしないと1時間用意した分の半分くらいしか話せなくなってしまいますからね。
ですから、もう長いこと当たり前のように思っていましたが、普段は慣れない日本語で不自由な思いをしながら付き合ってくださってるのだなぁと今更に気づきました。
悪いなぁ~。
逆に交わりの時はいつも気にせずやってくださいと伝えてますから、ほとんど韓国語で会話しています。
もちろん、私はぜんぜんわかりませんがお付き合いしています。
また、通常は韓国人と日本人とで分かれて捧げている主日礼拝ですが、たまに合同で捧げることもありますがここでも日本語なんですね。
悪いなぁ~。
合同礼拝は私が提案して始めたことでしたが、そのことをもっと感謝して、またできる限りの気配りをしなければと思いました。
ローマの信徒への手紙 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
愛する天のお父様
日本で暮らす外国人の大変さを
教えてくださりありがとうございます
言葉や習慣の違いに苦労されてる方もおられるでしょう
どうか主の励ましがありますように
わけあって家族と離れて暮らす方もおられるでしょう
どうか主の慰めがありますように
何にも悪くないのに差別を受けてる方もおられるでしょう
どうか主の憐みがありますように
感謝してイエスキリストの御名によってお祈りします アーメン